窯の土地の選定から・築窯まで、師である故松元洋一先生にご尽力いただきました。
この頁では、窯の名前の由来・窯ができるまでについて、高木文代本人より、少しご説明します。
師が名付け親です。
私の大好きな言葉「夢」と穴窯の炎の色「白」から夢白窯(むはくよう)と名付けていただきました。
常に「夢」に向かって、歩んで行きたい。
いろいろな出会いの中で、また新しい「夢」が育(はぐ)くまれます。
私は、「夢」を大切に生きていきたいと考えています。
穴窯を高温で焚き続けると、炎の色が真っ白になります。
「白」は、まさにこの色です。
尚、夢白窯では、この白い炎のさなか、薪をくべるタイミングになると、少し紫を帯びてきます。
なんとも言えない美しい色です。
その色を見たい!という気持ちに動かされて、窯を焚いていると言えるかもしれませんね。
夢白窯の設計は、師にご教示いただいております。
また、「窯は自分で作るものだ!」と教えられ、自ら作業にあたりました。
まず、水平をとることから始め、地面を掘りました。
水平器で計測しながら、一部分を水平にして、また、他の部分を…と繰り返しますが、なかなか全体が水平になりません。
ずぶの素人には難しいものですね。
また、モルタルが重いんです。30kgありますから。
節目節目で、師が奈良から駆けつけて下さいました。
完成するまでに、1年半かかりました。
自分で作ったからこそ、窯の細部にわたるまで理解でき、問題点の修正も可能になります。
窯は、どんどん育てていくものだと理解しております。
大きな窯なので、一回焚くのに約2000個を超える作品を作製します。
とにかく一生懸命です。
師曰く「後は窯が高木さんを育ててくれるよ!」とおっしゃっていた事、今も心に響いています。
現在では、窯の温度もしっかりと昇がるようになり、その状態もきちんと把握できるようになりました。
今後は楽しみしかありません。